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小金井市市役庁舎変更に関する条例の一部改正について賛成討論

 

 小金井市市役庁舎変更に関する条例の一部改正について賛成討論

 ※森戸よう子市議が討論を行う予定でしたが、最終本会議当日、議長が病欠となったため、水上ひろし市議が急遽討論を行うことになりました。


 議案第59号小金井市市役庁舎変更に関する条例の一部改正について賛成の立場から討論します。

 蛇目工場跡地を取得の決断をしてから32年間が経過しました。1989年に初当選した時の最初の大きな課題が市役所総合庁舎建設でした。当時は教育委員会は現在のOkストアの向かいのマンション用地に設置され、市役所は蛸足状態でした。総合庁舎の建設は重要課題でした。

 1987年(昭和62年)小金井市は、武蔵小金井駅南口再開発の調査を行い、その中で公共施設の立地を含め、庁舎の位置についても検討を行いました。その結果、1988年(昭和63年)12月の全員協議会において、現在の第二庁舎の区域は庁舎として、現在の本庁舎には警察署と消防署としての役割を持たせた公共公益施設地域として地区計画と用途地域の変更を市議会は同意しました。

 市は当該地への庁舎の建設について土地所有者と売却の協議を行いましたが、土地所有者にその意思がないことから断念していましたが、1989年(平成元年)に、土地所有者から土地信託方式により庁舎ビルを建設し賃貸することへの意向が示されましたが、市議選の前であったため、後戻りができるようにし、リース庁舎の判断は新しい市議会が判断するという議会の意見集約がされていました。1989年4月の新しい市議会は庁舎建設問題等調査特別委員会を設置し、総合庁舎建設に向けた協議を進めることになりました。1989年5月には東京全体の用途地域の変更に伴い、前原3丁目の第2庁舎用地について、公共公益用地として指定する地区計画にすることを了承しながらも、庁舎問題は別途協議するということの市議会の意見集約がなされました。

 大久保元市長は、土地所有者からの提案として、30年間の賃貸借契約で、坪単価9000円。3年ごとに家賃は改定し、敷金は15億円とするという案であった。30年間の賃借料は210億円の負担をする「リース庁舎」案でした。この時延べ床面積15000㎡だったと記憶しています。   

 しかし、市民からは30年後に小金井市のものにならないリース庁舎はやめるべきという声が大きくひろがり、1990年第4回定例会で「リース庁舎計画の白紙撤回を求める請願書」が採択されました。市議会の意思が示されたことにより、小金井市は検討を中断しました。

 その後、1991年(令和3年)第1回定例会でジャノメ工場用地が売却される予定であるという情報が入り、市議会としても公共用地が少ない中で取得するべきという声が出され、全会一致で取得の方向を確認しました。その後の第3回定例会で、市長からは、蛇目工場跡地に建設するにしても条件が整うためには10年を要するということを理由に、10年間で40億円のリース庁舎の賃貸借料を払うことで合意してほしいとの方針が示されました。第3回定例会ではそのための保証金7億円の債務負担行為補正が提案され、これまでリース庁舎に反対していた2人の議員が賛成に周り可決されました。まだ蛇の目工場跡地の取得については不透明な中でリース庁舎の10年間の賃貸借契約を締結することに私たち日本共産党は反対しました。市民からも反対の声は止まず、反対の陳情書や賛成の陳情書が提出されましたが、最終的には「10年間に限ってなら」と言ってリース庁舎反対の陳情書は不採択になりました。

 こうした中、1992年第2回定例会においては、中町3丁目1957番7及び1957番8の宅地11662㎡の土地を予定価格133億1096万1809万円で土地開発公社が取得する土地の買い入れの交渉が成立し、全議員が賛成し、取得に入りました。

 さらに、バブルが弾けたことや1997年度には職員の退職手当が払えない状況となり、1997年度、1998年度の2年間は利子分のみの支払いとなるという財政状況は厳しい状況でした。職員の大量の定年退職が出ることは数字を見れば明らかでしたが、そこに思いが至らず退職手当基金も積むことなく、市内の土地を次々と買収していったことも財政を圧迫し、塩漬けの土地を作る要因となりました。先を見通した財政運営が欠落していたことが最大の要因だったと考えます。

 日本共産党は、リース庁舎をやめ蛇の目工場跡地に早期に庁舎建設を進めるべきであると主張してきました。 

しかし、庁舎建設基金を積み立てる余裕もなく、当時52億円あった庁舎建設基金は、用地取得に40億円の支払いやリース庁舎の保証金等に使用したため、一時は45万円と寂しい状況でした。

 10年を前に再契約をするかどうかの議論が行われましたが、蛇の目工場跡地に建設する意思は小金井市にはありませんでした。そしてさらに10年間賃借することの契約を交わすことになりました。

 その後問題となったのがごみ焼却場の建て替え問題でした。国分寺市との共同処理を決め、二枚橋焼却場の廃炉を決定し、小金井市のごみを全量、国分寺市に持ち込み共同処理を行う予定でした。

ところが小金井市のミスにより、国分寺市の焼却場では全量処理ができないことが発覚し、他市に広域支援の規定を変更してもらい、広域支援区域以外にもごみ処理を支援してもらう態勢を作ることに小金井市はおわれ、蛇の目工場跡地への市役所庁舎建設どころの話ではありませんでした。

 二枚橋焼却場の老朽化は以前から指摘されてきました。東町1丁目、5丁目住民からは、将来のゴミ焼却場の建設計画を立てるべきだと、私が議員になる前から要請がされたにもかかわらず、二枚橋焼却場用地で建設することの一点張りで進めてきました。焼却場をどこに建設するかを決める、市民参加の検討委員会が設置され、二枚橋か、また庁舎建設予定地か、市民参加で検討がされましたが、結論は二枚橋焼却場用地となったわけです。


 その次に問題になったのが、武蔵小金井駅南口再開発第2地区の再開発ビルの保留床を92億円で取得する、そのため市役所庁舎建設予定地を40億円で諸部するという市の方針が示されました。

これを知った市民は、「120億円で取得した土地を40億円で処分するなど税金の無駄遣いだと、市役所庁舎の建設場所について、蛇目工場跡地か、再開発区域化を市民が決める住民投票条例制定を求める直接請求署名が行われ、1万名を超える署名が集まり、市議会に提出されました。市議会では1hよさで否決するという事態でした。当時の市長は、直接請求を重く受け止め、庁舎建設の場所を決める1万人の市民アンケート調査を実施し、結果として蛇目工場跡地を建設場所として決定しました。

 

 ところが、今度は第2庁舎を買い取って、本庁舎を建て替えて庁舎を建設する方針が示されました。そのことを知った市民が立ち上がり、市役所本庁舎前や第2庁舎の前には多くの市民が集まり、反対のシュプレヒコールが上がる事態まで発展していき、ついに議長斡旋により、市長は方針を撤回されました。

約120億円という当時にしては「清水の舞台」から飛び降りる買い物でしたが、要所要所で、市民が立ち上がり、市民が蛇の目工場跡地への建設を求め続けてきた歴史が、小金井市の歴史に刻み込まれてきたものです。

 

 そして、市役所建設に33年もの長い年月がかかったのは、歴代市長の政策変更によって市民が翻弄され、その度に市民が立ち上がり、軌道修正を行なってきた経過があるということです。結局リース庁舎を33年も借り続けなけなければならなかった。この責任は市民にはありません。


 市民と共に守り抜いてきた市役所庁舎建設予定地への市役所建設が、これから始まろうとしています。住民の自治のカナメである市役所が、現在の白井市長のもとで、直接請求を「民主主義手続きを否定するもの」などと市民を貶め、建設される市役所は「画竜点睛」を欠くと言わざるを得ません。

 市民の声が決めてきた市役所庁舎建設予定地です。最後の仕上げが、直接請求を行なった市民を貶め、市民を分断するやり方で建設されることは、市政の歴史に汚点を残すことになります。見直し案か現行案かの1万人アンケートなど市民の声を最後まで聞いて建設に突き進んでいただきたい、そのことを述べて賛成討論とします。

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